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条約調印国アンゴラでの地雷埋設

 1998年末、アンゴラの一地方に反政府軍UNITA、そしてアンゴラ政府の両者によって、新たに7000個の地雷が埋設されたことが伝えられた。アンゴラ政府は、1997年ブラッセル会議において、対人地雷全面禁止条約に署名している。批准は今だされていない。

 今回明らかになった、アンゴラが地雷を使用しているという事実は、対人地雷全面禁止条約の実体化にむけて、我々にいくつかの課題を投げかけている。

 そもそも、アンゴラは、世界で最も地雷埋設量の多い国である。 なぜアンゴラにそんなに地雷が埋まっているのかを理解するためには、1975年に、アンゴラがポルトガルの400年の植民地支配から人民共和国として独立を果たした時にまでさかのぼる必要がある。この時、ポルトガルからの独立を目指した民族運動は、 独立後も3つの組織に分かれて政権争いを繰り返した。結局 MPLAと呼ばれるアンゴラ解放人民戦線による政権が世界にも 認められ、現在に至っている。その間、UNITA(反政府軍)はゲリ ラ闘争を続け、何度も内戦を繰り返していたが、1994年に和平 協定が締結された。しかしながら実際には、反政府軍の武装解除 が進まぬため、政府との小競り合いは続いていたのである。反政 府軍に武器を供給していたザイールが97年に崩壊して、反政府軍は武器入手が困難になり、同年4月にようやく、両者の統合 政府が樹立され20年以上続いた内戦が実質的な幕を閉じたのである。

 この二十年間の内戦を通じて、各軍が埋設した地雷総数は約 2000万個と、カンボジアのおよそ4倍である。これはちょうど、アンゴラ国民の数の2倍にあたる。つまり、ひとりあたり地 雷2個を有する計算になる。埋設数、治安の悪さから、アンゴラ は世界で最も地雷除去が困難な国とされ、92年の内戦時には、 道路や鉄道、飛行場だけでなく、学校や病院、マーケットにまで地雷が埋設された。この20年間に渡る内戦が、アンゴラを世界で最も地雷埋設数が多い国にしたのである。

 そんなアンゴラも、97年の4月統合政府樹立後、7月にベルギーのブリュッセルで開かれた対人地雷ブリュッセル会議で は、同年中に対人地雷全面禁止条約の調印を目指すブリュッセル宣言に署名、宣言通り、97年12月に、日本と時期を同じくして調印した。その後日本では98年9月に批准がされたが、アンゴラは未批准のままである。そ んな中98年に、兼ねてから危ぶまれていた政府軍と反政府軍の統合政府に亀 裂が入り、激しい戦闘が再開した。そして98年12月に、両者が再び地雷を埋 設しているというこのニュースが、複数のNGOによって伝えられたのである。 われわれは、このアンゴラの事件を、条約の実体化・普遍化に関わる幾つかの課題を投げかけているものとして受け止めていく必要があるだろう。

 第一に、条約調印国が条約に違反した場合について。今回のアンゴラの場合、 対人地雷全面禁止条約の条約文に署名した後、批准する前に、再び地雷を埋設し 始めたわけだが、将来批准をするに至っても、国際社会の信用を得るための困難 が予想される。禁止条約の価値を揺るがしかねないという意味でも、条約調印国 アンゴラの地雷埋設は責められるべきである。アンゴラで活動する幾つかのNGOはすでに非難の声明を出しているが、我々もアンゴラの行為について糾弾し、即座に地雷埋設を中止するように要求していかなければならない。

 第二に、今後、アンゴラと同じようなことをする調印国が出てくる可能性を考 えさせられる。政情不安、内紛勃発の可能性がある国々に条約調印という国際社会への意思表明をうながし、また批准へのステップを着実に進めるよう働きかけることは急務だが、併せて対人地雷の製造、輸出入、備蓄、そして使用についての国際的なモニタリングを強めていくことでそのプロセスを確かなものにしていかなければ、条約の普遍化は進まないであろう。

 また対人地雷廃絶という課題が予防外交の環をなす一つの取り組みでもあって、平和を実現するための他の具体的な諸努力と共に進めていかなければ解決 をみないものであることも理解させられる。

 アンゴラにおける政府軍とUNITAの衝突は、現在も続いている。アンゴラが 対人地雷禁止条約を批准する日は、見通しは立っていない。この3月1日、対人地雷禁止全面条約が日本を含む64ヵ国の批准によって発効するが(調印国 133ヵ国)、発効後、批准済各国でいかに条約が履行されて行くのか、我々は見守っていく必要がある。日本政府についても、厳密なモニタリングを行うことが 必須であろう。他の国で再びアンゴラのケースを見ないためにも。

(編集部:福森真理子・真野玄範)